南京大捏造
日本軍の「武士道精神」
義・礼・勇・仁・誠・忠・名誉

南京大虐殺 は 南京大捏造です
杉田水脈さんが アメリカに保存されていた
「南京事件」の証拠の動画は、捏造と暴いてくれた
映っていたのは、被害者は日本人で、
中国人はその遺体から、靴下、衣類など奪ってた。
「捏造されてた動画」じゃなくて
「杉田水脈さんが 偽物と暴いた」情報が無くなってます
この杉田さん情報 完全に消されてます
元TBSアナウンサーの 鈴木史郎さん
当時南京にお住まいだったようです
日本人が南京に来ると感謝されるそうです
南京市民、ご近所の方が
妹におそろいの洋服を作ってくれたそうです
南京市民は日本兵が来ると喜ぶそうです
中国の兵隊は怖いそうです
その怖い中国の兵隊は 日本軍が来るとさーと逃げる
日本の兵隊が 虐殺どころか 介抱して助けてた
鈴木さんは 「南京のおかげで南京状態」だそうです
テリマカシ。。様 情報です
@terimakasih0001
貴重な情報ありがとうございます
いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書
平成十八年六月十三日提出
質問第三三五号
南京大捏造の再検証に関する質問主意書
歩兵第一〇一旅団指令部伍長であった私の亡父、河村鈊男(かねお)は、昭和二〇年八月一六日に武装解除されていた南京に到着し、南京市郊外の棲霞寺に翌二一年の一月まで滞在、同年三月に帰国した。同寺には司令部の約二五〇人が滞在していたが、彼の地で大変手厚く遇され、生き永らえることが出来たと感謝していた。
そこで、戦後五〇年となる一〇年前、当時の戦友たちは、当時の南京市民のもてなしへの感謝の気持ちとして、寄付金を募り、南京市に一千本の桜を寄付し、体調の悪い父に代わり母が訪中した。その母も昨年一〇月亡くなった。
彼の地において大虐殺が行われていたのであれば、そのわずか八年後にこのような心温まる交流が実在しえるとは思えない。そこで、いわゆる南京大虐殺事件について再検証すべきではないかと思うに至った。
植樹一〇年目の今年、私も三名の元日本兵とともに南京市を訪れ、改めて感謝の思いを伝えてきたが、同時に南京事件記念館も訪問した。このように深いご縁のある者として、正しい相互理解をふまえた真の日中友好を促進したいとの思いから以下の通り質問する。
一 日本政府の南京大虐殺に関する正式見解は聞いたことが無い、という石原慎太郎東京都知事の批判に答えて、沼田外務報道官は平成一一年五月一四日の記者会見で、南京大虐殺については「非戦闘員の殺害あるいは略奪行為があったことは否定できない事実」(平成一一年五月一五日付け朝日新聞)と述べた。
また、子供たちが学ぶ歴史教科書を見ると、ほとんどの教科書が南京虐殺を記載しており、教科書によっては二〇万人虐殺という記述もあるが、これらは、当然日本政府の見解とみなされるが、そう理解してよいか。
二 今日までの間に研究が進み、新たな史料が発掘されている。例えば、先月、亜細亜大学の東中野修道教授が出された『南京事件 - 国民党極秘文書から読み解く』は、戦争相手国であった中国国民党政府の中央宣伝部の極秘文書をもとに南京事件を解明している。同書には、これまで長い間南京大虐殺の動かぬ証拠と見なされてきた市民虐殺の告発本、ティンパーリ編『戦争とは何か』は、国民党中央宣伝部の制作した宣伝本だったことが、国民党の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝工作概況』の中に明記されていること、また、極秘文書の『中央宣伝部国際宣伝工作概況』(一九四一年)によれば、戦争相手国だった中国国民党政府は日本軍の市民虐殺と捕虜虐殺を指摘すらしておらず、むしろ否定していることが示されている。さらに、毎日のように開かれていた国民党中央宣伝部の記者会見でも南京大虐殺は話題にすら上っておらず、従って、アメリカ合衆国政府はもとより、国民党中央宣伝部でさえ南京大虐殺を極秘文書のなかで非難していないことが示され、そもそも、南京大虐殺の源流となったのは、虚偽の新聞報道であり、戦争プロパガンダ本のティンパーリ編『戦争とは何か』であったと喝破されている。
このような新たな研究成果を、政府は把握し歴史の再検証作業を行っているか否か。
三 それにもかかわらず「非戦闘員の殺害は否定できない事実」という政府見解や、日本軍は市民や捕虜を殺害して国際的な非難を浴びたという教科書記述はいったい何を根拠としているのか。市民虐殺と捕虜虐殺があったと明確に記載されている、南京陥落当時の、既に検証された記録をご教示いただきたい。
四 旧日本軍兵士の聞き取り調査等により、南京大虐殺を行ったという証言を得たことはあるか。また、南京市民において、親族が虐殺されたといった類の証言ないし証言録を政府は取得したことがあるか。
五 政府見解は再考の余地が無いと考えるか否か。
六 前述の東中野教授の著書、『南京事件「証拠写真」を検証する』では、南京大虐殺の証拠写真として通用するものは一枚も無かったとの研究成果がまとめられているが、中国政府は南京事件記念館にそれらの写真を展示している。そのことに対して日本政府はどのように考えているのか。またどのように対処しているのかご教示いただきたい。
七 南京事件記念館を利用した反日感情増大政策は、日中友好に対する重大な悪影響をもたらすと考えるが、日本政府としてはこの悪影響を取り除くべきと考えるが、どのような努力をしているのか。
右質問する。
中国が「世界の記憶」に登録した主要資料
中国はユネスコ「世界の記憶」に登録した「南京大虐殺」資料について推敲に推敲を重ねたと強調し、以下の主要11項目を公表した。
⑴ 金陵女子文理学院の学生寮監督、程瑞芳の日記
⑵ マギー牧師の16ミリ撮影機とフィルム
⑶ 南京市民が死の危険を冒して保存した、旧日本軍撮影による民間人虐殺や強姦等の写真16枚
⑷ 呉旋が南京臨時参議会に提出した旧日本軍の暴行写真
⑸ 戦犯谷寿夫に対する南京軍事法廷の判決文正本
⑹ 米国人、ベイツの南京軍事法廷での証言
⑺ 南京大虐殺の生存者、李秀英の法廷証言
⑻ 臨時参議会の敵人罪行調査委員会調査表
⑼ 南京事件法廷が調査した犯罪の証拠
⑽ 南京大虐殺についての市民の上申書
⑾ 外国人日記「占領南京一目撃者の記述」(中国国営新華社通信より)
この11項目は、次のように⑴南京裁判の証拠、と⑵それ以外のものに大別できる。
⑴ 南京裁判の証拠とされた資料・判決文など
<資料3>旧日本軍撮影による民間人虐殺や強姦の写真16枚
<資料4>旧日本軍の暴行写真
<資料5・6・7>谷寿夫裁判の判決文、法廷証言、米国人の法廷証言など
<資料8・9・10>同裁判などのために収集された調査資料
⑵ 裁判に直接関係しない日記や目撃記録
<資料1>難民を受け入れた金陵女子学院の程瑞芳の日記
<資料2>マギー牧師の16ミリ撮影機とフィルム
<資料3>南京残留外国人の日記や報告
この資料の問題点については、4月28日付けnote拙稿で詳述したので参照されたい。
●日本の「南京大虐殺」論学者たちの南京訪問
「南京大虐殺」論を主張する日本の学者たちが最初に南京を訪問したのは、南京大虐殺記念館が開館する1年前の1984年であった。南京事件50周年に当たる1987年に第2次調査を行っており、メンバーは洞富雄(元早大)を顧問、藤原彰(元一橋大)を団長にして、笠原十九司(宇都宮大)、吉田裕(一橋大)、江口圭一(愛知大)、由井正臣(早大)、君島和彦(東京学芸大)、吉見義明(中央大)等に加えて、本多勝一(朝日新聞社)と和多田進(晩聲社)等も参加し、本多には中国国際貿易研究所の通訳が随行し、中国側に指名して連絡してあった38名の証言者のヒアリングを行い、「幾本ものマイクが突き出された東史郎氏の周りには大きな人だかりとなって、東氏の50年前の思いで話に耳をそばだてた」が,この東史郎氏の「南京大虐殺」証言の嘘は裁判の敗訴によって判明し、長年南京大虐殺記念館に掲げられていた東氏の写真も撤去されているという。
これらの「南京大虐殺」を主張する学者たちに、何度も公開討論を申し入れたが、拒否された。秦郁彦氏らの「中間派」も含めた討論を提案したが、彼らは逃げ回り、学術的検証の議論を避けてきた。
ちなみに、私の恩師である児玉三夫明星大学学長の秘書であった方が東氏が属していた部隊の上司で、東氏が南京大虐殺があったと証言している日付の日記とはまったく異なる内容が書かれた同日付の日記を見せて下さり、彼の著書『わが南京プラトーン』が事実無根のトンデモ本であることを明示された。
東氏の証言ビデオはカリフォルニア州のマグロウヒル社の歴史教科書を採択している高校の授業で生徒たちにセットで見せることがカリキュラム化しており、これが在米日系人子弟へのいじめの原因の一つになったことは、これまでに『正論』等の月刊誌や歴史認識問題研究会の学術研究誌『歴史認識問題研究』等で詳細に論じてきた。
●16枚の写真の徹底検証
中国が「南京大虐殺」の証拠と主張する16枚の写真は、洞富雄・藤原彰/本多勝一編『南京大虐殺の現場へ』(朝日新聞社)、中国で出版された『侵華日軍南京大虐殺暴行照片集』『世界遺産名録:南京大虐殺档案』第3冊、映画『南京1937』などに収録されているが、そのデタラメぶりは。東中野修道・小林進・福永慎次郎『南京事件「証拠写真」を検証する』(草思社)に詳述されているので参照されたい。






















































