南京大捏造
薛剣様 ありがとうございます!
薛剣様のおかげで 南京大捏造と判明
感謝しかないです
これだけでも^^
南京は捏造の超重要動画です
ダウンロードして返り討ちに!
動画 124
http://nottorisosi.com/mov/nankin.mp4
通州事件 1937年7月29日 犠牲者385人
(虐殺、強姦、死体損壊、略奪etc)
南京事件 1937年12月
(信憑性ゼロ 捏造の証拠多数)
通州事件は記事も記録も被害人数もハッキリ残ってる
通州事件を摩り替える為に戦後左翼が捏造したのが南京デマ
⓵ 通州事件 ←やっちゃったから
nottorisosi.com/tushujiken/
⓶ 南京大捏造 ←ごまかしてる
nottorisosi.com/nankin/
⓷ 近隣諸国条項 ←日本の教科書ウソの原因
https://nottorisosi.com/kinrin/
⓸ 中国に 40年間 3.3兆円以上
ODA支援してるのに 隠してる
賠償金を奪うため
韓国バージョン
慰安婦捏造問題
https://nottorisosi.com/ianfu/
韓国VANK
https://nottorisosi.com/vank/
南京大虐殺 は 南京大捏造
日本軍の「武士道精神」
義・礼・勇・仁・誠・忠・名誉
1966/9 昭和41年私は総統に敬礼してから、
「私はかつて閣下にお目にかかったことがございます」と申し上げた。
「いつか。」と聞かれるので「36年(昭和11)の3月、
松井石根閣下にお伴して、南京で・・・・」と申し上げた。
松井大将の名を聞くや、蒋介石の顔色が見る見る変わった。
ふるえ声で――「松井閣下には、申し訳なきことを致しました・・・・・」と
私の手を堅く握りしめて、むせぶように言われ、眼を赤くして涙ぐまれた。
私は驚いた。一同も蒋総統のこの異様な態度に驚いた。
周知の通り南京戦の直後、
蒋は漢口にいてしきりに対日抗戦の声明文を発表したが、
〈虐殺事件〉など一言も触れていない。
何応欽軍司令官の『軍事報告書』の中にも一行もない。
それを東京裁判は、松井大将の責任で
20万余を虐殺したと判決して、絞首刑に処したのである。
あれほど支那を愛し、孫文の革命を助け、
孫文の大アジア主義の思想を遵奉(じゅんほう)したばかりか、
留学生当時から自分(蒋介石)を庇護し、
面倒を見て下さった松井閣下に対して何らむくいることも出来ず、
ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪(えんざい)で刑死せしめた。
悔恨の情が、いちどに吹きあげたものと思われる。
蒋介石は私の手を2度、3度強く握って離さず、
目を真っ赤にして面(おも)を伏せた。
周知の通り、
蒋はカイロ会議以降連合国首脳会議から除外されて、発言権を失った。
代わってスターリンがのさばり、
中立条約を破って満州、南樺太に進攻し、北方四島の侵略まで果たした。
蒋は東京裁判関係からも除外され、
派遣した梅判事はすでに共産党にくらがえしており、
南京事件に対して何らの発言も出来なかったのである。
蒋介石は88歳でこの世を去るまで、松井大将の冥福を祈ったと聞く
・在日中国人女性 鳴霞さん(近畿福祉大学講師)の
「親日の告白」(SAPIO)5/25号)
「未だ法治国家になれない中国には、言論の自由もなく、
民主主義国家におけるさまざまな権利を認められた国民も存在しません。
教科書新聞、ネット、テレビなど
すべての媒体は共産党政府が一元管理しています。
また、少なくと1億人以上(中国政府発表)の字が読めない人や
一般人民が日本の歴史教科書や靖国神社の実態を知るわけがありません
当時私は朝日新聞と読売新聞を併読していました。
ところが、1984年頃から朝日新聞が「南京大虐殺」を旧日本軍がやったと
大々的に報道することに違和感を持ち朝日の購読をやめました。
なぜなら、中国で「南京大虐殺」は教科書でも
メディアでも見聞したことがなかったからです。
来日して「南京事件」についての論争があることを知り、
知人から『南京事件日本人48人の証言』(阿羅健一著)を薦められて読んで、
当時の南京で「虐殺」は起こりうる状況でなかったことを知りました。
また、「南京大虐殺」の教典とされていた英紙マンチェスター・ガーディアンの
中国特派員ティンパーリの『戦争とは何か』(1938年)が、
国民党の宣伝文書であったたことが国民党の公式史料で判明したことなどで、
私は「南京大虐殺」の嘘を知りました。
かつて私は中学の歴史教科書で、
「毛沢東軍(八路軍)は国民党軍を30万人殲滅した」と教えられました。
https://takatyan5.blog.jp/archives/12779141.html
南京大捏造 です!
中国はなぜ?
「南京の証拠映像」として 関係ない動画を使ったの?
何で? ね~何で?
杉田水脈さんが アメリカに保存されていた
「南京事件」の証拠の動画は、捏造と暴いてくれた
映っていたのは、被害者は日本人で、
中国人が遺体から靴下、衣類など奪ってた。
中国はなぜ 本物の動画を使わないんですか?
なぜ バレたらマイナスしかない
違う事件の動画を「南京の証拠」としたんですか?
近隣諸国条項
https://nottorisosi.com/kinrin/
日本の教科書の内容ウソだらけの原因
今も探し中です!
「杉田水脈さんが 偽物と暴いた」情報が無くなってます
この杉田さん情報 完全に消されてます
元TBSアナウンサーの 鈴木史郎さん
当時南京にお住まいだったようです
日本人が南京に来ると感謝されるそうです
南京市民、ご近所の方が
妹におそろいの洋服を作ってくれたそうです
南京市民は日本兵が来ると喜ぶそうです
中国の兵隊は怖いそうです
その怖い中国の兵隊は 日本軍が来るとさーと逃げる
日本の兵隊が 虐殺どころか 介抱して助けてた
鈴木さんは 「南京のおかげで南京状態」だそうです
テリマカシ。。様情報
@terimakasih0001
貴重な情報ありがとうございます
否定論の「証拠」
①南京大虐殺は中国国民党が宣伝した事件で、<「南京大虐殺」を世界で最初に伝えたとされ>、事件をまとめた本「戦争とは何か」を出した豪人記者、ティンパーリは<実は月1000ドルで雇われていた国民党中央宣伝部顧問であったことが後に判明しています>(194~195ページ)
②世界に先駆けて事件を報じたニューヨーク・タイムズのダーディン、シカゴ・デーリー・ニューズのスティールの両記者は<南京陥落直後に南京から離れています(つまり伝聞)>(195ページ)
③南京には欧米の在外公館などが存在し、各国の特派員も大勢いたのに<大虐殺があったと世界に報じられてはいません>(同)
④<南京安全区国際委員会(記者注・南京戦の開始後も南京に残った米独の企業関係者や大学教授らが安全区を設け、中国の市民らを保護した組織。「南京安全区」は以下、安全区)の人口調査によれば、占領される直前の南京市民は約20万人>だが<(占領1カ月後には)25万人に増えているのです>(同)
⑤<(当時の報道写真には)南京市民が日本軍兵士と和気藹々(あいあい)と写っている日常風景が大量にあります>(196ページ)
⑥<(日中戦争は8年続いたが)南京市以外での大虐殺の話はありません(中略)とりわけ日本軍は列強の軍隊の中でも極めて規律正しい軍隊で、それは世界も認めていました>(198ページ)
⑦<東京裁判でもおかしなことがありました(中略)30万人も殺したはずの南京大虐殺では、南京司令官の松井石根大将一人しか罪に問われていないのです。規模の大きさからすれば(中略)何千人も処刑されているはずです>(198~199ページ)
いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書
平成十八年六月十三日提出
質問第三三五号
南京大捏造の再検証に関する質問主意書
歩兵第一〇一旅団指令部伍長であった私の亡父、河村鈊男(かねお)は、昭和二〇年八月一六日に武装解除されていた南京に到着し、南京市郊外の棲霞寺に翌二一年の一月まで滞在、同年三月に帰国した。
同寺には司令部の約二五〇人が滞在していたが、彼の地で大変手厚く遇され、生き永らえることが出来たと感謝していた。
そこで、戦後五〇年となる一〇年前、当時の戦友たちは、当時の南京市民のもてなしへの感謝の気持ちとして、寄付金を募り、南京市に一千本の桜を寄付し、体調の悪い父に代わり母が訪中した。
その母も昨年一〇月亡くなった。
彼の地において大虐殺が行われていたのであれば、
そのわずか八年後にこのような心温まる交流が実在しえるとは思えない。そ
こで、いわゆる南京大虐殺事件について再検証すべきではないかと思うに至った。
植樹一〇年目の今年、私も三名の元日本兵とともに南京市を訪れ、
改めて感謝の思いを伝えてきたが、同時に南京事件記念館も訪問した。このように深いご縁のある者として、
正しい相互理解をふまえた真の日中友好を促進したいとの思いから以下の通り質問する。
一 日本政府の南京大虐殺に関する正式見解は聞いたことが無い、
という石原慎太郎東京都知事の批判に答えて、
沼田外務報道官は平成一一年五月一四日の記者会見で、
南京大虐殺については
「非戦闘員の殺害あるいは略奪行為があったことは否定できない事実」
(平成一一年五月一五日付け朝日新聞)と述べた。
また、子供たちが学ぶ歴史教科書を見ると、
ほとんどの教科書が南京虐殺を記載しており、
教科書によっては二〇万人虐殺という記述もあるが、
これらは、当然日本政府の見解とみなされるが、そう理解してよいか。
二 今日までの間に研究が進み、新たな史料が発掘されている。
例えば、先月、亜細亜大学の東中野修道教授が出された
『南京事件 - 国民党極秘文書から読み解く』は、
戦争相手国であった中国国民党政府の中央宣伝部の極秘文書をもとに南京事件を解明している。同書には、これまで長い間南京大虐殺の動かぬ証拠と見なされてきた市民虐殺の告発本、
ティンパーリ編『戦争とは何か』は、
国民党中央宣伝部の制作した宣伝本だったことが、
国民党の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝工作概況』の中に明記されていること、
また、極秘文書の『中央宣伝部国際宣伝工作概況』(一九四一年)によれば、
戦争相手国だった中国国民党政府は日本軍の市民虐殺と
捕虜虐殺を指摘すらしておらず、むしろ否定していることが示されている。
さらに、毎日のように開かれていた国民党中央宣伝部の記者会見でも
南京大虐殺は話題にすら上っておらず、従って、
アメリカ合衆国政府はもとより、
国民党中央宣伝部でさえ南京大虐殺を極秘文書のなかで
非難していないことが示され、そもそも、
南京大虐殺の源流となったのは、虚偽の新聞報道であり、
戦争プロパガンダ本のティンパーリ編『戦争とは何か』であったと喝破されている。
このような新たな研究成果を、政府は把握し歴史の再検証作業を行っているか否か。
三 それにもかかわらず「非戦闘員の殺害は否定できない事実」
という政府見解や、日本軍は市民や捕虜を殺害して国際的な非難を浴びた
という教科書記述はいったい何を根拠としているのか。
市民虐殺と捕虜虐殺があったと明確に記載されている、
南京陥落当時の、既に検証された記録をご教示いただきたい。
四 旧日本軍兵士の聞き取り調査等により、
南京大虐殺を行ったという証言を得たことはあるか。また、
南京市民において、親族が虐殺されたといった類の証言ないし
証言録を政府は取得したことがあるか。
五 政府見解は再考の余地が無いと考えるか否か。
六 前述の東中野教授の著書、『南京事件「証拠写真」を検証する』では、
南京大虐殺の証拠写真として通用するものは一枚も無かった
との研究成果がまとめられているが、
中国政府は南京事件記念館にそれらの写真を展示している。
そのことに対して日本政府はどのように考えているのか。
またどのように対処しているのかご教示いただきたい。
七 南京事件記念館を利用した反日感情増大政策は、
日中友好に対する重大な悪影響をもたらすと考えるが、
日本政府としてはこの悪影響を取り除くべきと考えるが、
どのような努力をしているのか。
https://jinf.jp/weekly/archives/16647
中国が「世界の記憶」に登録した主要資料
中国はユネスコ「世界の記憶」に登録した
「南京大虐殺」資料について推敲に推敲を重ねたと強調し、
以下の主要11項目を公表した。
⑴ 金陵女子文理学院の学生寮監督、程瑞芳の日記
⑵ マギー牧師の16ミリ撮影機とフィルム
⑶ 南京市民が死の危険を冒して保存した、
旧日本軍撮影による民間人虐殺や強姦等の写真16枚
⑷ 呉旋が南京臨時参議会に提出した旧日本軍の暴行写真
⑸ 戦犯谷寿夫に対する南京軍事法廷の判決文正本
⑹ 米国人、ベイツの南京軍事法廷での証言
⑺ 南京大虐殺の生存者、李秀英の法廷証言
⑻ 臨時参議会の敵人罪行調査委員会調査表
⑼ 南京事件法廷が調査した犯罪の証拠
⑽ 南京大虐殺についての市民の上申書
⑾ 外国人日記「占領南京一目撃者の記述」(中国国営新華社通信より)
この11項目は、次のように
⑴南京裁判の証拠、と⑵それ以外のものに大別できる。
⑴ 南京裁判の証拠とされた資料・判決文など
<資料3>旧日本軍撮影による民間人虐殺や強姦の写真16枚
<資料4>旧日本軍の暴行写真
<資料5・6・7>谷寿夫裁判の判決文、法廷証言、米国人の法廷証言など
<資料8・9・10>同裁判などのために収集された調査資料
⑵ 裁判に直接関係しない日記や目撃記録
<資料1>難民を受け入れた金陵女子学院の程瑞芳の日記
<資料2>マギー牧師の16ミリ撮影機とフィルム
<資料3>南京残留外国人の日記や報告
●日本の「南京大虐殺」論学者たちの南京訪問
「南京大虐殺」論を主張する
日本の学者たちが最初に南京を訪問したのは、
南京大虐殺記念館が開館する1年前の1984年であった。
南京事件50周年に当たる1987年に第2次調査を行っており、
メンバーは洞富雄(元早大)を顧問、藤原彰(元一橋大)を団長にして、
笠原十九司(宇都宮大)、吉田裕(一橋大)、江口圭一(愛知大)、
由井正臣(早大)、君島和彦(東京学芸大)、吉見義明(中央大)等に加えて、
本多勝一(朝日新聞社)と和多田進(晩聲社)等も参加し、
本多には中国国際貿易研究所の通訳が随行し、
中国側に指名して連絡してあった38名の証言者のヒアリングを行い、
「幾本ものマイクが突き出された東史郎氏の周りには大きな人だかりとなって、
東氏の50年前の思いで話に耳をそばだてた」が、
この東史郎氏の「南京大虐殺」証言の嘘は裁判の敗訴によって判明し、
長年南京大虐殺記念館に掲げられていた東氏の写真も撤去されているという。
これらの「南京大虐殺」を主張する学者たちに、
何度も公開討論を申し入れたが、拒否された。
秦郁彦氏らの「中間派」も含めた討論を提案したが、
彼らは逃げ回り、学術的検証の議論を避けてきた。
ちなみに、私の恩師である児玉三夫明星大学学長の秘書であった方が
東氏が属していた部隊の上司で、
東氏が南京大虐殺があったと証言している日付の日記とは
まったく異なる内容が書かれた同日付の日記を見せて下さり、
彼の著書『わが南京プラトーン』が事実無根のトンデモ本であることを明示された。
東氏の証言ビデオはカリフォルニア州のマグロウヒル社の
歴史教科書を採択している高校の授業で生徒たちに
セットで見せることがカリキュラム化しており、
これが在米日系人子弟へのいじめの原因の一つになったことは、
これまでに『正論』等の月刊誌や
歴史認識問題研究会の学術研究誌『歴史認識問題研究』等で詳細に論じてきた。
●16枚の写真の徹底検証
中国が「南京大虐殺」の証拠と主張する16枚の写真は、
洞富雄・藤原彰/本多勝一編『南京大虐殺の現場へ』(朝日新聞社)、
中国で出版された『侵華日軍南京大虐殺暴行照片集』
『世界遺産名録:南京大虐殺档案』第3冊、
映画『南京1937』などに収録されているが、そのデタラメぶりは。
東中野修道・小林進・福永慎次郎『南京事件「証拠写真」を検証する』
(草思社)に詳述されているので参照されたい。
支那という国は、己が文化と言おうか風習を普遍的に考え、
首都南京が陥落すれば、日本軍が当然「屠城」(を行う、
との思い込みをプロパガンダに載せて、
臆面もなく全世界に発信するのだから始末に負えない。
日本軍は断じて「南京大虐殺」などとは無縁の存在である。陸軍大将・松井石根中支那方面軍司令官は支那の文化に畏敬の念を払う、人も知る親中派であり、
昭和15年2月には、熱海の伊豆山に興亜観音を建立し、日支事変での両軍の戦没者を怨親平等((おんしんびょうどう))の精神を以って供養するような人物なのだ。
戦後、連合国よりA級戦犯に指定され、1948(昭和23)年12月23日(今上陛下御誕生日=アメリカは、かかる皮肉なことを随所で行っている。)巣鴨プリズンにて銃殺ならぬ絞首をもっての処刑を受けたのである。
当然のことながら、1978(昭和53)年10月、昭和殉難者として靖国神社に合祀されている。
通州虐殺事件をそのまま南京にすり替えたチャンコロのずるさには呆れるばかり。
大日本帝国陸軍総司令官・松井石根大将は12月9日、隷下に休戦を命じ、城内の唐生智軍に「降伏勧告のビラ」を空から全市にばら撒いて講和を呼びかけている。
その間攻撃を中止して、10日正午まで待機し、唐生智司令官からの使者を中山門で待った。支那の南京籠城軍に対する投降勧告は、武士道精神に則った、礼を尽くし、条理を説いたものであったが、
これに対するに支那軍は、猛烈なる砲火を以っての返答であったのだ。已む無く日本軍は総攻撃開始。かくして1937(昭和12)年12月10日17時20分、城頭に翩翻(へんぽん)()として日章旗が翻り、
同月13日、中華民国の首都・南京は完全に陥落したのであった。
南京陥落の六日前・12月7日には、蒋介石夫妻はじめ何応欽ら軍首脳、政府高官、高級官僚、馬超俊南京市長ら責任ある立場の者全てが脱出・逃亡し、前日の12月12日には南京守備軍司令官・唐生智が、20万市民と5万の敗残兵を残して遁走している。
否定論の「証拠」
①南京大虐殺は中国国民党が宣伝した事件で、<「南京大虐殺」を世界で最初に伝えたとされ>、事件をまとめた本「戦争とは何か」を出した豪人記者、ティンパーリは<実は月1000ドルで雇われていた国民党中央宣伝部顧問であったことが後に判明しています>(194~195ページ)
②世界に先駆けて事件を報じたニューヨーク・タイムズのダーディン、シカゴ・デーリー・ニューズのスティールの両記者は<南京陥落直後に南京から離れています(つまり伝聞)>(195ページ)
③南京には欧米の在外公館などが存在し、各国の特派員も大勢いたのに<大虐殺があったと世界に報じられてはいません>(同)
④<南京安全区国際委員会(記者注・南京戦の開始後も南京に残った米独の企業関係者や大学教授らが安全区を設け、中国の市民らを保護した組織。「南京安全区」は以下、安全区)の人口調査によれば、占領される直前の南京市民は約20万人>だが<(占領1カ月後には)25万人に増えているのです>
⑤<(当時の報道写真には)南京市民が日本軍兵士と和気藹々(あいあい)と写っている日常風景が大量にあります>
⑥<(日中戦争は8年続いたが)南京市以外での大虐殺の話はありません(中略)とりわけ日本軍は列強の軍隊の中でも極めて規律正しい軍隊で、それは世界も認めていました>
⑦<東京裁判でもおかしなことがありました(中略)30万人も殺したはずの南京大虐殺では、南京司令官の松井石根大将一人しか罪に問われていないのです。規模の大きさからすれば(中略)何千人も処刑されているはずです>
中国は昨年、ユネスコ記憶遺産として、
「南京大虐殺」と中国人の「従軍慰安婦」に関する資料を登録申請した。
「南京大虐殺」については、
①日本軍の蛮行を写したとされる16枚の写真
②虐殺犠牲者を米人牧師ジョン・マギーが撮影したとされる「マギー・フィルム」
③2万人以上の強姦があったと主張する『中国人慰安婦』
(オックスフォード大学出版)に引用されている中国人女性、程瑞芳の日記
④虐殺を証言したとされる元日本兵の供述書
⑤中国国民党による南京軍事法廷(1946年)で
裁かれた第6師団長、谷寿夫中将に関する裁判資料―などがある。
また、「従軍慰安婦」については、
日本の工兵が上海に建てた木造の「楊家宅慰安所」
などの19枚の写真が含まれている。
ユネスコは事前審議で、「南京大虐殺」の資料に不備があるとして
追加資料の提出を求め、ユネスコ事務局の登録小委員会の審議を終え
、国際諮問委員会に結論が先送りされた。
同委員会で9月に登録の可否が決定する。
●中国側資料の問題点
これらの資料の問題点について、
幸福実現党が反論書をユネスコ本部に提出したが、
日本政府として明確に反論する必要がある。
まず、
①の写真は東中野修道氏らの
共著『南京事件「証拠写真」を検証する』において指摘されているように、
服装が軽装で南京が陥落した冬の時期に合わない。
②のフィルムには、日本軍が虐殺している映像は全くない。
③の日記は中国版「アンネの日記」と呼ばれ、
英語版は南イリノイ大学出版より刊行されているが、
全て伝聞情報に依拠している。
④の元日本兵、永富博道氏らの供述書は、
中国共産党の日本人捕虜洗脳教育の結果の政治宣伝にすぎない。
⑤の裁判資料については、第6師団の約100名の
元日本兵が反論した出版物がある。
中国は「性奴隷」の証拠として提出した楊家宅慰安所の
「写真の現物と著作権は中央档案館(公文書館)にある」
と申請書に明記しているが、
この写真は慰安婦を検診した
軍医の麻生徹男氏が撮影したものを無断で使用し、
虚偽の申告をしたものであり、
遺族は著作権侵害だと訴えている。
中国は申請資料の全面公開を拒否しており、
ユネスコが定めた「世界記憶遺産保護のための一般指針」に違反している。
●官民一体で反論を
筆者は7月9日にパリのユネスコ日本代表部の
幹部に英文の反論資料を提示して協議したが、
部分的に反論しても、
「南京大虐殺」に対する
日本政府の基本的見解を明示して反論しなければ、
最終的な決定権を持つユネスコ事務局長が
全体としてどのように判断するかは予断を許さない。
国際諮問委員会は8月が休会のため、一刻の猶予もない。
官民一体となった反論に万全を期す必要がある。(了)
https://jinf.jp/weekly/archives/16647
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7240.html
【1937年に「南京戦」「南京陥落」はあったが、
「南京大虐殺」も「南京事件」もなかった】というのは、今では常識だ!
●南京大虐殺完全否定のまとめ
日本軍による南京市民虐殺事件は、全くなかった(0人)。
まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領した上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。
次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。
陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。
日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていたが、「虐殺」事件は南京に居た憲兵隊などに通報されたことも全くなかった。
また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。
更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
最後に、戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。
よって、日本軍による南京虐殺事件は0件だった。
以上のとおり「南京大虐殺」については、事実関係として完全に虚構(捏造)であり、日本軍によって虐殺された南京市民はゼロ(0人)だった。
【平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》】朝日新聞1937年12月20日掲載「17日河村特派員撮影」
【平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》】朝日新聞1937年12月20日掲載「17日河村特派員撮影」
また、捕虜の不法殺害については、南京戦に参加した畝本正己が、資料、証言を更に整理し検討し、【昭和63年=1988年】に発行した『南京戦史』(偕行社)で、撃滅・処断推定約1万6千人、うち不法殺害の可能性があるのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみとの結論を出している。
つまり、「捕虜の不法殺害」の犠牲者は、0人~800人というのが結論だ。(関連記事)
一方、支那軍は、支那事変のあった8年間で、投降したり負傷したりして捕まえた日本兵を捕虜として保護したことは全くなかった。
支那軍は、「反戦兵士」(違法)にする極めて少数の日本兵を除き、1人残らず日本軍将兵を惨殺した。
まさに「皆殺し」だった。
日本軍が南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜として保護したのとは、対照的だった。